当時の米国政府は、米国の対日貿易収支の赤字が続き、その赤字額がどんどん増えていたため、日本政府に対して、米国市場への製品の輸出量を減らすように要求しました。これに対応して、日本政府は個々の企業に対して、それまでの米国市場での販売量に応じた比率で、輸出量を割当、それを守るように指導しました。これを日本企業は、輸出量の「自主規制」と呼びました。日本企業が自主的に決めた上限と言う意味です。
ブラウザの「戻るボタン」で、元の画面に戻ってください。